成り行きまかせの音楽教室
「こんな音楽教室、あったらいいな」を形にする、あとは成り行きまかせ
特に目標があるわけでもなく、のびのびのんびり気の向くままに運営していますが、「こんな音楽教室があったらいいな」と思ったら、それを形にするように取り組んでいます。基本的には、一人でやりたい放題、よさそうなことを思いついたら、あまりどのくらいの時間がかかるのか考えないまま、新しい取り組みを始めたりするので、大体が未完成です。すべてにおいて遅れがちで、だからといって完成も急いでいません。やっていることの大半が、現状、必要なく、あったらいいかなぁというものばかりだからです。ついでに事務作業ものんびりしすぎているので、そのあたりは改善をしなければと思っています。
今、気をつけていることは、「教えることを第一に」「生徒よりも練習する」「意味のあるルールづくり」「世の中の価値観の変化についていく」「古風である」などでしょうか。
「教えることを第一に」
素晴らしいと思っていただいた方には申し訳ないのですが、なぜこれを掲げているかというと、掲げていなければ、旅に出たいと思った翌日から一週間、教室を休みにして放浪してしまうかもしれないからです。可能性が一番高いのは、練習です。「練習したいので数日レッスンはお休みします」とか言われたら、生徒は嫌ですよね。ただ、僕はやり兼ねないということです。というより、コロナ騒ぎの前ですが、大泉教室でも何回かやってしまってます。もちろんやむを得ない状況だったのですが、こんなこと頻繁にやっていたら「こんな教室、あったらやだな」ということになります。そういう関係で、これを一番にかかげているわけです。
「生徒よりも練習する」
個人的には、自分がやっていること、やってきたこと以上に、生徒に何かを求めるのはちょっと嫌ってだけの話です。
「世の中の価値観の変化についていく」
意図せず人を傷つけてしまうようなことは避けていきたいです。指導方法についても、どんどんアップデートして、より良い指導をしていきたいです。
「効率的に高い効果を得るためのルール作り」
世代を問わず、レッスンにルールを用いた方が効率的です。このルールは、運営のルールというよりも、レッスン内容のルールー化、パターン化です。レッスン時間が短いので、準備を戸惑っていたら、何もせずに時間が過ぎてきます。
日本人(だけってわけではないでしょうが)は、不思議なルールを作りがちだと思いますので、僕も謎ルールを作らないように気を付けたいです。意味がなくて、不必要なルールは、状況の変化でいらなくなったものと、ルールを作った人が考えが浅かったり、感情任せに作ったり、最初から意味がないものとがあると思います。
社会では、ミスとの兼ね合い、ミスが0になったとしても、手間かけすぎて作業に時間がかかるなど難しいケースもあります。ルールには意味があると思いますのでどういう意図でどういう効果がでているかを明確にして決めていきます。ミス防止のためのルールが多すぎてミスをするなんてことがありますよね。あと、ミスが特定の部分で起きるようになっていて責任を押し付けられるようになっているシステムとか見ると、がっかりします。
ルールを設けることは短いレッスンを効率的に使うために大切なことだと思っていますし、必要に応じて変える、やめるなど柔軟な対応も必要です。ルールは、増えるばかりで結局守り切れずに、形だけになるなんてよくあることですが、守っている人が損することが無いようにしたいところです。
「古風である」
なんだかんだいいながらも、昔よりもいい世の中になっていると思いますし、しつけについて感じるところは、聞き分けのいい子が増えています。どんどん子供たちは穏やかに、大人しくなっています。全般的な傾向としては、世の中のシステムがきちんとし過ぎていて、視野が狭くなってしまっていることもあるのではないかと感じます。
ルールの大切さを主張しながらも、ルールで割り切れないところもあります。世の中では、想定していない状況や例外的な状況ではルールが邪魔して最善策をとれないことがあります。でも、当教室みたいに、小さい教室は、どうにでもなるので、臨機応変に対応していこうと思っています。
小学生の時に、「温故知新」という言葉を書道の先生から教えてもらい、大好きな言葉になってのですが、理想論よりも古いやり方の方が単純ですが現実的で効果的だったりもします。
新しさをどんどん取り入れることには躊躇しませんが、心地よいゆるさや単純なやり方などで足りるのであればそちらの方向で環境や指導方法などを考えていこうと思っています。